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さらば 東京高裁

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最後の手持ち事件が解決しました。
受任から4年半、訴え提起から3年10か月です。

本来、解決までさほど時間がかからないタイプの事件でした。
解決までに時間がかかってしまったのは相手方の見通しの甘さが理由です。
こちらにとっては解決までの時間が長いほど有利になるので、別に構わないのですが、依頼者はイラつきます。
弁護士としても、これほど長くかかると嫌になってしまいます。

写真は和解が成立した東京高裁。
もう二度と、弁護士として裁判所の門をくぐることはありません。
記念にと撮影しましたが、寂しさなど微塵もありません。
これからは好きでもない人間同士の泥仕合に巻き込まれることはないのですから。

本ブログを始めてから、1年以上になりますが、その間、経済的に厳しいものがありました。
新件の相談、受任をしておりませんので、売上0円の状態が1年以上続いていましたが、幸い、弁護士会費を滞納することもなく、弁護士人生を終わることができそうです。

今後、弁護士の仕事としては、10月に某NPO法人の無料相談会が一件予定されています。
弁護士の仕事としてはそれが最後となります。

これからは事務所明け渡しの準備をし、また、弁護士登録を抹消することになります。
事務所明渡の準備などは私の苦手な仕事です。
考えるだけで、うっとうしいので「最後の事件が解決してから」と言い訳をして、後回しにしてきましたが、もうそんな言い訳もすることができません。

先延ばしにして、無計画のまま放置していた怠惰に現実に追いつき、いきなり無重力空間に投げ出された感じです。
それにしても、はてさて、何をすれば良いか。

無重力空間をゆるりとゆるりと浮遊する宇宙飛行士も怠けている訳ではないでしょう。
彼らには彼らの目的があり、無重力空間を浮遊している筈です。
私もゆるりゆるりとやって行くしかありません。




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最後の夏休み

例年だと7月下旬から8月上旬まで1週間以上の夏休みをとりますが、今年は3日だけです。
終わりかけの(筈の)手持ち事件が1件だけですので、忙しいはずがないのですが、年をとると色々とプライベートな面での忙しさが出てきます。
本ブログの副題に反して、年をとると負うべき重荷が増えてくるのを実感します。
高齢者には不思議な忙しさがあります・・・仕事が暇だからと言って、人生が暇とは限らないという。

夏休みですが、裏磐梯で過ごして来ました。
裏磐梯は山も湖もあり、景観に富んでいて、何度行っても飽きません。
しかも、福島の地酒はうまい。
温泉につかり、磐梯山を眺めながら、本でも読んでいると、たった3日でも夏休み気分が味わえます。

上の写真はホテルの部屋から撮影したもの。下は浄土平。
裏磐梯の空気はさわやかというより、肌寒いという感じでした。

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弁護士最後の夏休みですから、豪華客船でクルーズでも・・・という思いはありましたが、引退後の年金生活のことを考えると無駄遣いはできません。

豪華な夏休みをとるつもりは全くありませんでしたが、さすがに夏休みが3日というのは物足りない気分がします。
とは言え、休みはこれからとろうと思えば、いくらでもとれます。
弁護士引退後は死ぬまで休みです。
そう思うと諦めもつきます。

※「被害者のための交通事故実務」もまだネタはありますが、今後、続けるか否かは気分次第です。

被害者のための交通事故実務(5) 近親者介護料

重度後遺障害が残存すると介護が必要となります。
介護を近親者がする場合、介護費用の日額は「赤い本」では8000円とされています。
しかし、過酷な介護の場合、日額8000円では少額であると感じられる場合があります。
勿論、「赤い本」では具体的看護の状況によって、増減するとありますが、日額8000円をベースとする以上、過酷な介護であっても、大きな増額は望めません。
「赤い本」をベースにする正統的な方法と異なる発想で日額を増額することが可能か考えてみました。

以下は私の勝手な考え方です。

両親が子供を、子供が両親を、妻が夫を、夫が妻を介護する場合、その労働の経済的価値は介護を職業とする人の労働の経済的価値と同じです。
労働の内容が同じなのですから、当然です。
その前提で、例えば、母親が子供を仮に12時間、介護する場合、介護費用はどの程度になるでしょうか。

介護労働に従事する方と言えば、まず、思い浮かぶのは訪問介護員ということになります。
訪問介護員の時給としては公益法人 介護労働安全センターのHPから調べることが可能です。

それによると訪問介護員の時給は1249円です。
従って、12時間では約1万5000円となります。
近親者の介護が過酷である場合、この方法を検討する価値があると思います。

しかし、残念ながら、このような方法で近親者介護費用を認定した判例は存在しません。
家庭の内部のことであり、この方法では介護時間が客観的に測定できないということがネックになるかも知れません。
従って、立証においては、一日あるいは一週間の介護のスケジュールを作成して、正確に介護時間が分かるようにする必要があります。

交通事故実務というものは予めすべてが決まっているようですが、良く考えると別の考え方も可能であることか多いという印象があります。
近親者介護料もそうです。
別の考え方をするためには「そもそも何故、そうなのか」と自らの思考停止状態を解いていくことから始めることになります。

さて、ではそもそも、「赤い本」で近親者介護の日額が8000円とされていますが、それは何故でしょうか。

近親者の介護は契約に基づいていません。
そのため、介護費用の立証資料が存在せず、被害者の立証は困難です。
それ故、その立証の困難さを救済するのが目的ではないかと考えられます。
それでも、何故、日額8000円なのか、という疑問は残ります。

日額8000円の根拠が明確でない以上、他の方法で日額が立証ができるならば、他の方法を選択するという考え方もしても良いのではないかと思うのです。






被害者のための交通事故実務(4) 入院付添費用について

被害者が入院していてる時、近親者が付添することがあります。
近親者付添料を損保に請求すると、必ずある答えが返ってきます。

「完全看護だから付添いは必要ないでしょう」

被害者入院時の付添費については、金額はあまり大きくなく、争点としては些細なものです。
また、多くの判例でも付添費は認められており被害者に有利と言えます。

しかし、損保の「完全看護だから付添は必要ないでしょう」という言い分は、まともなことを言っているような感じもしますので、一度、考える必要があります。

「完全看護」とは簡単に言うと病院の看護師のみが看護する医療体制のことです。
わが国では1950年、GHQの看護改革の指導があり、その指導に沿って生まれたものです。
当時、入院は「小さな引越し」と言われ、家族はふとん、鍋・釜・七輪を持ち込んで生活し、患者の世話をするのが当たり前でした。
こうした状況を改善すべく看護は病院所属の看護師が行うという考え方に基づき、1950年、診療報酬において、「完全看護」という点数項目を創設し、これを採用した病院は、その分の点数を入院料に加算することになりました。
「看護学概論、基礎看護額【1】、医学書院」より

しかし、1958年、「完全看護」は「基準看護」という言葉に改められました。
完全看護という言葉は看護師が何でもしてくれるという誤解を生んだからです。

一方、完全看護に対するものとして普通看護があります。
患者個人が職業家政婦を雇うという形の看護です。
これは1994年(平成6年)まで続きました。
従って、それ以降は基準看護のみということになります。

看護の分野では入院患者数と看護師の数の比率が問題となっています。
看護師数に対して、入院患者の数が多くなると看護の質が低下することから、問題となるのですが、このあたりについては交通事故を扱う弁護士には必要がないと思いますので、省略します。

要は、完全看護という言葉は既に存在せず、基準看護と言われています。
また、基準看護も病院の看護師のみが看護するという建前を示しているだけです。
重傷患者や年少者の患者では病院の看護師では注意が行き届かないことがあり、近親者等が看護をしなければならないことが多々ある・・・このことは常識で考えても分かることです。

従って、損保の「完全看護だから付添は必要ないでしょう」の言い方は詭弁でしかありません。
また、基準看護が建前である以上、医師が診断書に「付添看護が必要である」等の記載をすることもありません。
ですから、「医師が付添を認めていないから付添費用は否認する」という損保の言い分も詭弁です。

弁護士としてはとうの昔、死んだはずの完全看護という言葉が亡霊のように生き残り、損害賠償の世界を徘徊していると理解しておく必要があります。
損害賠償の場面においては、陳述書で何故、近親者等の付添が必要であったか詳しく記載し、証拠化しておくのが賢明と思います。








被害者のための交通事故実務(3)  工学鑑定について

交通事故鑑定の専門家と名乗っている方が世間におられます。
被害者、加害者はそうした方に事故状況の分析を依頼することがあります。
彼らの作成した工学鑑定書を証拠を出すには相当の注意が必要です。

※なお、裁判所の鑑定人が鑑定しているのではないので意見書と呼ぶのが正確ですが、ここでは鑑定書と呼び、また、私人から依頼されて交通事故鑑定をする専門家を鑑定人と呼ぶことにします。

まず、工学鑑定書は刑事記録、特に実況見分調書に沿ったものかを注意する必要があります。
鑑定人が刑事記録等を十分に読み込んでいない場合があるからです。
また、刑事記録は十分に読み込んではいるが、勝手な推測、想像を加えて、事実関係の土台が崩れている場合があります。

裁判で証拠として出すには弁護士がその点を精査することが必須の作業となります。
また、運動量保存則、エネルギー保存則を使った物理的解析については弁護士が物理学を完全に理解をしていることが前提となります。
鑑定人の物理的解析については誤っていることが少なくないからです。

私の経験では鑑定書が10あれば9は間違いがあり、使い物になりません。
残りの1は弁護士と鑑定人がやり取りを重ね、修正をしてようやく使い物になります。
ですから、「この鑑定書は理解できない」と思ったら証拠として提出すべきではありません。

刑事記録中には稀に科捜研の鑑定書が綴られていることがあります。
科捜研の鑑定書は私人の鑑定人の鑑定書と異なり、大抵は正確であり、裁判所も信用しています。
しかし、やはり注意は必要です。

かつて、加害車両が小型乗用車、被害車両が貨物自動車(加害車両より遥かに重量がある)の事案を受任したことがあります。
被害車両の運転者が死亡した事故です。
科捜研の鑑定書は加害車両は高速で走行していないと結論を出しておりました。
そのため、一審の裁判所の判決は死亡した被害者の過失は大きいと評価しました。

遺族は一審判決に納得せず、私はこの事件を控訴審から受任しました。
科捜研の鑑定書を見て、その誤りは直ぐに分かりました。
加害車両、被害車両を「質点」と見做して、物理法則を適用していたのです。

「質点」とは大きさの無い2次元の点です。
物理法則を適用する場合、「質点」の一点に車両の全重量が集中しているという仮定をしますが、物理学では珍しくありません。
しかし、自動車を質点と見做すと以下の点が無視されることになります。
1 自動車は損傷しないことになる
  質点には大きさがないのですから、損傷しないからです。
2 自動車は回転しないことになる
  大きさの無い質点は回転しないからです。
3 自動車は転倒しないことになる
  2次元上の存在である質点は転倒しません。

実際の事故では被害車両は大きく損傷し、転倒し、転倒後、回転して停止していました。
しかし、鑑定書では被害車両は質点で表現され、衝突地点から停止地点まで直線で移動したことになっていました。
つまり、加害車両のエネルギーのうち、被害車両を損傷させたエネルギー、転倒させたエネルギー、回転させたエネルギーが無視され、速度が低く見積もられていたのです。

結局、高裁では一審判決が認めた被害者の過失割合を大幅に低くして和解が成立しました。

被害者側でも加害者側でも工学鑑定の依頼は基本的にすべきではありませんが、どうしてもしなければならないこともあります。
しかし、交通事故鑑定は百鬼夜行、魑魅魍魎が跋扈する世界と覚悟しておくべきです。
そのため、鑑定書の取扱いは最大限の慎重さが必要とされます。
特に、数式の羅列を見て、「煙に巻かれている」と感じた時は、証拠として出さないほうが無難です。

安易に鑑定書を出した場合、最悪の事態が起こることもあります。
一方が提出した鑑定書に対し、相手方が対抗して鑑定書を出し、それに対して、また反論の鑑定書を出す・・・という際限のない鑑定書合戦が繰り広げられることもあります。
その結果、鑑定費用は数百万になることもあります。
損保側は資金の余裕があり、いくらでも鑑定書を出せますが、被害者側はそんなことはできません。
弁護士としてはこうしたことだけは避けなければなりません。
鑑定人という魑魅魍魎に任せるのではなく、弁護士も科学的視点をもって自らのアタマで考える必要があります。